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瞑想〇十年やりました、沈黙、エクスタシー、が来ては去り、クンダリーニが動いたり動かなかったり、肉体、エーテル体、その他、の変化を感じたり、、、、と、様々な体験は来ては去るけれど、何かあなたの根本は変わってる???
その元は何???
 
http://yahoo.jp/box/aoBvKK

ティルバンナマライのラマナ・アシュラムで売っている小冊子(一番薄い)だが、アシュラム在住の日本人女性に、この本にはエッセンスが詰まってるので読めばいい、と言われて買ったもの。
アシュラム・ビジターの入門ガイド(?)として、各国語版が売られていた。

この本は、ラマナの教えの最初期のものの一つらしいが(元は第3者による質疑応答集だが、実際にラマナも、後日、加筆修正に加わったらしい)、タミル語では「私は誰?」を、「なんやー?(Nan Yar)」というらしい。関西人には親しみやすくてGood。

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最近、oshoの本が新刊の形で、いろいろ出版(再出版)されている。

かの、レディ・ガガが、彼の本について言及したのも、彼の本の人気再燃に関係しているのかも。

自分の意見として、最近のosho本に感じるのは、

・最近出版されるosho本は高い。(汗)
・最近出版されるosho本の訳が難しくて読みにくい。(翻訳者の人、ごめんなさい)

などだが、幸い(?)「本が高い」については、ずいぶん以前から、oshoの本を読むことが ほとんどなくなっており、たまに図書館で借りたりしても、読んでいると眠くなってしまったり、集中が続かなくなってしまったりで、すぐ投げ出してしまう。(ま、自分的には、頭で彼を理解するステージは終わったのかな、と密かに喜んでいるのだが、(・o・) )

「本の訳が難しい」については、訳のつじつまが合ってないことがたまにあったり、ただ原文を機械的に翻訳しているだけ、と感じることがままあり、文字だけがびっしりと詰まっていて、まるで小説を読んでいるように感じる時がある。
まぁ、訳というのは大変な作業だし、訳者の主観をなるべく排除して、という考えに基づいて作業しているので、こうなっているのかもしれないが、、。

自分の好みでは、初期のプラブッダの訳が一番気に入っている。
なんといっても、「詩」として美しいし、訳者の「LOVE」が感じられる。
oshoの講話は「間」も重要だが、文章のデザインに行間が多く、視覚的にも「間」を感じられる、(その分、本が分厚くなってしまっているのかもしれないが、)

で、最近は本を買う、といえばアマゾン。
近頃のosho本新刊で話題になったものといえば、 山川 紘矢、 亜希子夫妻が訳した一連のシリーズ本(「Joy」「Courage」)である。

自分はoshoサニなので、やはり、良い書評が出ていると、「ふむ、共感、、」と嬉しかったり、悪い書評が出ていると「ほんま、わかっとるんか、、、」という気分になるのだが(笑)、手前味噌な気分はさておいて、アマゾンの書評が面白い。

思うに、これらの書評には、oshoサニのサクラも多分に含まれているとは思うのだが、特にosho本に関しては、書評=鏡に写った自分の姿、となることもままあると思うので、それも含めて、色々な考え、意見、感じ方、があるのだなぁ、と感じ入った次第。

以下、抜粋。


Joy 喜び



【他の書評】

【★★★★★】
毎朝起きて、仕事して、寝て。たまに美味しいものを食べ、気晴らしに出掛け、、、どれも尊いけれど、正直言っていっときの儚い夢、人生は虚しく、この繰り返しが辛いと思うことがあります。お金持ちとは言えなくても衣食住に足りているというのに。
そんな人生の疑問に斬り込んで来る本です。OSHOもそんな人生は虚しいと言います。それでも喜びを見出せる。それは慰めや、誤魔化しの喜びではなく、もっと心のうちから見出せる喜びであり、それは自分を活かし、さらには周りを照らすと。まずは自分を見つめなさいと。恵まれているはずなのに、生きるのが辛い、現代の悩み多き人にピッタリなのではないでしようか。繰り返し読みたい本です。


【★★★★★】
「Joy」読み終わりました。まえがきと帯を読んだ時点ですでに涙がでました。なぜだか(今までの人生を丸ごと受け入れてもらった!)と感じてしまったのです。肩の力がぬけていくような嬉しい涙でした。
 「Joy」はエネルギーのあるパワフルな本なのだと思います。読むごとに勝手に自分の深いところが反応しました。(あれ・・この感覚は・・・)と自分の中を探りたくなります。頭や目で読むのでなく、本と一緒に自分の中を探求しながら進む感じでした。よく(あ・・この匂い、なんだっけ?どこかで嗅いだことある。知ってる匂い・・)と探求するあの感じです。大人になるにつれ忘れかけている平和や幸せ・至福の体感が、反応するのかもしれません。とても上手く表現されているので、すとんと入ってくる場面も多かったです。例え話がたくさん出てくるので笑ってしまうこともありました。 ふむふむと表面をテキパキ読みすすむこともできますが、それではもったいない。ゆっくりじっくり読み進めると、誰の中にも眠っている至福やJoyがトントンとpokeされる感じです。


【★★】
「引き寄せ」を信じている方にはあまりおすすめしません。

最初のレビューに書いた通り「欲望」ついて丁寧に書かれているので
欲望の中に置かれている状態を引き寄せてしまう心配があると感じたからです。

できたら書店で少し立ち読みしてから購入するかどうか
決められたほうがいいと思います。

前書きだけでなく本文のほうまで読んでみてください。

↓ 以下、最初のレビューです。

* * * * * * * * * * * * * * *

率直に書きます。
それがこの本を書いてくださったOSHOにも翻訳してくださった山川ご夫妻にも
敬意を表することになると思うので。

『Joy』は「喜び」についてより「欲望」について詳しく書かれた本です。

「欲望」についてあまりにも懇切丁寧に書かれているので
正直最初は困惑しましたしその部分については
かなり駆け足で読みました。

最終章の「喜びの中に生きる」でも周囲に欲望うずまく中にあっても
「喜び」の中で生きなさいという教えが書かれているだけで
「喜び」についてあまり明かされてはいません。

私たちは『ザ・シークレット』で欲しいものは望めば
受け取ることができると知りました。

そこにはOSHOが言う「欲望」も含まれています。

「引き寄せ」という宇宙の法則を自分が欲しかったものでシンプルに試したら
今度は次のステージへと行きましょう!

そこにあなたが今まで内側に秘めていた本当に欲しかったものがあります。

欲望を捨て「Joy」を始めましょう!
そろそろ喜びの領域へと歩を進めるときです。

そんなメッセージのように感じました。

『Joy』は「Joy」を始める前の
下準備という感じ。

確かに「喜び」を知っていても周囲の「欲望」との付き合い方には
迷いの生じるときがあります。

それが自分にとって大切な親兄弟、身近な人だとなおさらです。
目覚めさせてあげられない無念さも日々抱き続けています。

自分を鍛えつつ「喜び」「至福」について
さらに明かされる機会を楽しみに待ちたいと思います。

* * * * * * * * * * * * * * *

翻訳をひとつのアートとしてみた場合
素晴らしい作品だと思います。

山川ご夫妻のご尽力に敬意を表するとともに
ご自身の影響力を考慮した作品選びを希望します。


【★】
内容は簡単に言えば苦しみ、惨めさから喜びへとアプローチする流れになっているのですが、喜びへのアプローチに関しての記述は割合としてはほんの少しです。
率直に、このOSHOという人はやたらと考えすぎているのではないかと思いました。
個人的に趣向が違うのかもしれませんが、苦しみや惨めさについてあまり考えなくなってきている段階の人にとっては、そんな感覚ではないでしょうか・・?
山川夫妻の翻訳だから楽しみにしていたのですが、いつものハッピーな読後は迎えられませんでした。
むしろ・・うまい表現ができないので申し訳ないのですが、気分があまりよくないです。
天国とか極楽って、もっと緩くて楽な場所なのではないでしょうか。
残念ながらこの本のよさがわかりませんでした。



Courage 勇気



【他の書評】

【★★★★★】

このように、あるテーマに基づいて彼の言葉を編集すると、気づきにくいかもしれない。

だが、彼は、瞑想について語るとき、「愛は他者を必要とする。瞑想・観照こそが究極だ。」と語り、
愛を語るとき、「瞑想はその努力の中にマインドを含み、最後の瞬間にやっと明け渡す。愛は、瞑想の最後の段階から始める。愛こそが究極だ。」という。
彼は語ることによって何をしようとしているのか。

これらの講話は、それぞれ、彼が織りなすシンフォニーの1小節にすぎない。
聴衆の心が混乱しているときは、彼は瞑想について語る。瞑想に傾きすぎて、愛や調和が不足しているときは、愛について語る。瞑想や調和に傾きすぎて活力が不足しているときは、危険の中に生きることを語る。そして何かまた不足や行き過ぎがあったときは、別の何かについて。

彼の力点は、無心(ノーマインド)であり、無我(エゴの崩壊)にある。生の中で起こるあらゆることに無態度でいること、積極的に批判や評価をせずにただその中に飛び込み、その中で生きること。その状況に一体化すること。

マインドによる願望成就や「私(エゴ)」の安全、そういうものが大切な人は、彼の本を読まない方がいい。
彼は、聴衆(読者)を、それらを超えたところに誘おうとしている。

ある意味、彼は一流の詐欺師だ。
最初、彼の言葉に力がありすぎるので、私たちは彼の言葉の中から生きるための指針を探そうとする。他者に向って主張できる思想を探す。自分の哲学を作るための参考にしようとする。そして確かに彼は、表面上はエゴが好みそうな言葉を使っている。
しかし、彼の言葉を多く知ってゆくに従って、確固たる信念は薄れゆき、そのニュアンス、彼のいうところのハートのハーモニーだけが残ってゆく。

もし、人生の成功者になり豊かで満足な生活を送りたいなら、これ以上彼の本を読んではいけない。

彼の本を読んでも、直接的に出世や金儲けの障害になることはないかもしれない。
しかし、それらとは別のものに価値を見出してしまったら、たとえ地位や富を得たとしても、たとえ一般的な意味で人生の成功者と言える状況になったとしても、内側に大きな渇望が隠れていることに、容易く気づいてしまうだろう。


oshoの本

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プロフィール
・名前 Bodhi Taru
・生年月日 1961/11/15
・種別 地球人、人間種、男性


* Topics of life

・1973年 ギターに出会う。
・1979年 嶋本昭三さんに出会う。モダン・アート三昧。
・1982年 インドに出会う。放浪開始。
・1986年 ネパールでoshoラジニーシに出会う。
・1989年~1991年 オランダ、アムステルダム市在住。Reggae三昧
・1992年 インドのラクノウでプンジャジに出会う。
・1994年 ジャマイカのキングストンでアール・チナ・スミスと出会う。
・1998年 レイキ・マスターとなる。
・2002年 インドのホワイトフィールドでサイババに出会う。
・2010年 ディクシャ・ギバーとなる。

いろんな物や人、場所に出会って感謝
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