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思えば21歳のとき、初めて飛行機というものに乗って、初めて行った海外旅行の行き先がカルカッタ(コルカタ)だった。
このときは、同い年のアーティストの友人と、2人で旅に出た。
飛行機の巨体が本当に宙に飛んで、不思議な感じだったのを覚えている。

パスポートを見ると1983年4月20日に伊丹空港を出国、インドのカルカッタ、ダムダム空港の入国が4月26日になっているので、経由地のタイに5日ほどいることをオプションで選んでいたらしい。

今でもそうだと思うが、カルカッタが日本からいちばん距離が近いので、航空運賃が他の都市へ飛ぶより安い。
そのときも、それが目的地をカルカッタにした理由だったが1年オープンで15~16万した記憶がある。
これ以降、この街には何度も滞在することになるのだが、いろんな意味で、カトゥマンドウ、ポカラ、プーナなどとならんで、思い出多い街である。

ダムダム空港に着陸した飛行機には、タラップが横付けされ、初めてインドの空気を吸ったときには「ああ、自分はインドでもちゃんと生きてるんだなぁ、、」という変な感慨があった。
両替のとき、日本からもって持って来たボールペンを銀行員に取られそうになりつつ、街までのエアポートバスに乗って出発を待っていると、指のない ライ病の乞食の方複数に窓を叩かれたり、その後、街に入ってからは、いたるところにシーツを頭まですっぽりかぶった人たちが路上に多数、死体のように横た わっておられたので(はじめ見たときは死んでるのかと思った)、「おおー、、」と感慨深かったのを覚えている。
シーツをかぶった人たちが寝ていた、ということは街に入ったのが早朝だったようにも思う。

その頃、安宿街サダルストリートにはモダン・ロッジとホテル・パラゴンが人気を2分していて、というかそれしか選択肢がなかった部分があり、その時にはモダン・ロッジのドミトリーにチェックインした。
その後、ホテル・マリアをはじめ、いろいろリーゾナブルなホテルが出来てきたが、安宿の老舗はやはりこの2つだと言う気がする。ただ、モダン・ロッジの名は、最近あまり聞かなくなったので、まだ営業しているのかは謎だが、、。
初めての旅では、この後友人と別れてダージリン、ネパールへと移動、その後、ブッダガヤ、ヴァラナシ、アグラなど北インドをまわって、その後どこへ行ったのかはよく覚えていないのだが、とにかく8ヶ月ほど滞在した後、もう一度カルカッタからバンコックへ飛んだ。

何年の、いつごろか、はもうよく覚えていないのだが、この街にいちばん長く滞在したのは3ヶ月ほどで、この時はホテル・パラゴンのドミトリーで沈没して、毎夜屋上のパーティーでチュラムを回していた。
このときのドミトリーは日本人が多く、中には今回もう6ヶ月くらいいて、ベッドの脇に自分用のオリジナル祭壇を作っている人などもいた。
日本に帰ったら、季節工をしてそのまま、またインドに帰ってくるらしい。
他にも日本人のカップルで、女の子のほうは17歳で高校中退してインドに来て、ヘロインにはまってる子とかもいて、最近はインドもポピュラーな渡航先となり、そういう差異も少なくなってきたのかもしれないが、やはりインド旅行者はおもしろい人が多いと思う。

これが例えばタイの旅行者なんかだと、「なんで女を買わんのや」と、とつとつと説教されたり(実際、そういうことがあった)、金、女、酒と、なん か世俗的な香りがする人が多いのだが(もちろん、そういう人ばかりではないが)、インドまで来ると、見た目に変わっていても、クスリにはまっていても、な にか精神世界的探求の香りがする人が(もちろん、そういう人ばかりではないが)多い気がして落ち着くのである。(ま、今は知らないけど、、)

自分にとってある場所で長期滞在するときの条件は、・物価が安い・飯がうまい。その他あるのだが、カルカッタはその条件を満たしていると思う。
特に食のバリエーションは、インドでも1,2を争うと思う。
もちろん、ボンベイなどの大都会では、金に糸目をつけなければホテルで中華から日本食まで食べれるのだろうが、カルカッタでは(地域に根ざした普 遍的な形で)市民である中国人が経営するチャイニーズ・レストランが数多くあったり、モスリム街の横丁へ一歩足を踏み入れると「ビーフ・カレー」が堂々 と、それも信じられない安さで食べれたりする。
インド・レストランもバリエーション豊富でおいしいし。

それにこの街は、何か微妙に、他のインドの大都市とは違ったヴァイブレーションがあると思う。
ごちゃごちゃしていて、ちょっとファニーで、なんか町並みも古いところがあって、自分は大阪出身なのだが、なんか大阪みたいというか。
それに、芸術家を多く輩出している地でもあるのだが、街はゴタゴタで爆発してるんだけどなにか詩的な香りがあるというか。

あるときの滞在では、その時は雨季の真っ最中で、特にこのサダルストリート周辺は水はけが悪く、飯を食いに外へ出るときは、覚悟を決めて、(誇張でなく)膝まで道路にあふれかえった水(汚水、、)につかりながら、毎日レストランに通った記憶もある。

また、あるときの滞在中、頼まれてカメラを売りにニュー・マーケットに行ったこともある。
カルカッタでは有名なニュー・マーケットは、過去の巨大な遺物である巨大な屋内マーケットである。(今でもあるのかな?)
物内にはありとあらゆる店がごちゃごちゃとひしめいて、とても入り組んだ暗い路地になっており、高級な一眼レフのカメラを懐に忍ばせていたせいもあって、後ろから襲われて店で身ぐるみはがされるのでは、とちょっと緊張した。(インドに何年もいたにもかかわらず)
やっと値段交渉に入った店では、そのカメラのカタログまでそろっていて、こちらより、そのカメラについてよく知っていたので驚いてしまった。

24のときoshoのサニヤシンになったときも発端はカルカッタで、ホテル・パラゴンで偶然、ネパールから来た日本人に、oshoがネパールにいることを聞き、取るものもとりあえずネパールへ行ったところ、彼に会えた経緯もある。
その時は、その後も旅を続け、oshoがワールドツアーを終えてボンベイに帰ってきたのをカトゥマンドウで知り、彼女と一緒に会いに行こうとチケットまで予約していたのに、突然A型肝炎が発症。
彼女はそのままoshoに会いにボンベイまで行き、サニヤシンになって自分の国に帰国した。
自分はその時、チケットがカルカッタ→バンコック→日本だったので、もうすでに懐も心細かったが、とにかく日本まで帰り着かねばならず、細心の注意を払い(下手に動くと死んだり、肝硬変になるので)症状が落ち着くのをまって、カルカッタへ移動した。

肝臓の病気なので油やカレー、辛いものを食べることが出来なかったのだが、このとき世話になったのがカルカッタのチャイニーズ・レストランだった。
毎日、レストランに通っては、油抜きの野菜ラーメンと、(肝臓のためにたんぱく質を補充しなければならないので)ゆで卵を食べていた。
これがインドの田舎だったりしたら(とびきり辛いカレーしか選択肢がなくて、)本当にあぶなかったかもしれない。

その後バンコックに飛び、カオサンのビリヤード場の奥にあるドミトリーに泊まって金を節約しつつ、路上で売れるものを道売りして金を作ったりして(もう金がピンチだったので)、なんとか無事日本に帰りついた。

思い返せば、その時以来カルカッタには行っていないが、その後阪神大震災に遭遇し、焼けて倒壊した町並みを見たとき、最初にイメージにうかんだのはカルカッタだった。




で、前にも何回か紹介したけど、この人の写真、リアルな質感と、表現がすばらしいと思います。
http://fotologue.jp/calcutta/
任侠ゲバリスタさん「インド・カルカッタの人々」




※この日記の写真説明
・上  サダル・ストリート この写真、何の変哲もないけど、その分リアルにあの界隈を思い出す。
・中央 ハウラー橋 カルカッタの象徴、大きな鉄橋。
・下  雨季のカルカッタ。






脳を刺激するカルカッタ


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プロフィール
・名前 Bodhi Taru
・生年月日 1961/11/15
・種別 地球人、人間種、男性


* Topics of life

・1973年 ギターに出会う。
・1979年 嶋本昭三さんに出会う。モダン・アート三昧。
・1982年 インドに出会う。放浪開始。
・1986年 ネパールでoshoラジニーシに出会う。
・1989年~1991年 オランダ、アムステルダム市在住。Reggae三昧
・1992年 インドのラクノウでプンジャジに出会う。
・1994年 ジャマイカのキングストンでアール・チナ・スミスと出会う。
・1998年 レイキ・マスターとなる。
・2002年 インドのホワイトフィールドでサイババに出会う。
・2010年 ディクシャ・ギバーとなる。

いろんな物や人、場所に出会って感謝
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