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osho014.jpg

この人とは長いつきあいになります。

思い起こせば、高校生のとき一緒にバンドをやってたメンバーの、家庭教師がこの人の弟子(サンニャーシン)で、彼経由で「存在の詩」という講話録を読んだのが始めての出会いでした。
その頃この人は、バグワン・シュリ・ラジネーシと呼ばれており、弟子は、オレンジの衣類とマラ(この人の写真の入ったロケット)を身につけることになっており、彼自身も、その過激な言動と、(特にドイツなどではー)インドのアシュラムにいった子供が(アシュラムに居ついてしまい)なかなか帰ってこなかったりして物議を呼んでました。

小さいときから美術とか音楽が好きで、物心ついてからはヒッピーとか、放浪とか、自由とかいう事柄にあこがれていたので、この本は非常に面白かったのですが、その時は時々拾い読みするぐらいでした。

21歳のとき初めてインドに行ったときも、(非常な重量にもかかわらずー)「究極の旅」という 別の講話録を持っていき、日々のガイドにして旅してたのですが、彼の言葉を読んだり、メソッドなどを実践してるうちに、完全に「ハマって」しまいました。

その後も、アジアと日本を行き来してたのですが、24歳のときちょっとした精神的危機に陥った時期があり、前々から暖めていた”テイクサンニャス”(弟子になること)の思いを実践するときだと思い、思い切ってアメリカまで会いに行こうとしていたところ(その頃アシュラムはアメリカのオレゴン州にあった)、突然、アメリカのアシュラムが閉鎖になり、彼も、行方がわからなくなってしまいました。

しょうがないので、アメリカに行くために貯めたお金でもう一度インドに行くことにして、まずはカルカッタのホテルパラゴンに身を落ち着けて、これからの行く末を考えていると、ネパールから着いたばかりの日本人が、”バグワン(OSHOの前の名前)がカトマンドゥーで話してた(講話してた)よ~”と教えてくれました。
その頃はまだ、OSHOのサンニャーシンは赤い服にマラといういでたちで、自分もいつも赤い服を着てたので、話がそういう話題になったときに、偶然教えてくれたのです。
どうやらその話は本当のようだったので、とるものもとりあえず(いついなくなるかわからなかったので)、予約なしの夜行列車の床に一晩すわり、バスのチケットをだまされて買わされたりしながら、2日かけてカトマンドゥーまでたどりつきました。季節は2月だったので寒かったのですが、ありったけの服を重ね着して、とにかく会場まで足を運びました(寒い地域に行くのは予定外だったのでー)。
正直言うと、そこまできてもまだ、本人がいるとは信じられなかったのですが、時間になると本当に本人が”おでまし”になり、めでたく(?)カトマンドゥーでサンニャーシンになりました。

グルとしての彼は、はじめての「(特に西洋社会の)中産階級の人々」に門戸を開いた、最初のグルではないでしょうか。インドにグルはごまんといますが、教えを受けようと思うと、多かれ少なかれ(物質的にも精神的にも)インドの慣習や、やり方に慣れなければ難しいところがありますが、彼のアシュラムは、ほとんど西洋社会といってもいいほどで、逆に、かえってインド人のほうがいづらそう(?)という現象を時々見かけました。
それに、メソッド自体が斬新で、踊ったり、カタルシスティックなものから始めて、徐々に「沈黙」に近づいて行く、という今までとはまったく違った、彼独自の方法をとっています。

それと、なんといっても特筆すべきは、彼のまわりにかもし出される、独特の「遊び」と「ユーモア」の感覚、「自由」の感覚だと思います。彼自身、「深刻さは病気」だと語っていますが、講話でのジョークの連発(下ネタ含む)など、普通では考えられない(?)ことも日常茶飯事ですし、彼の推奨する(「禅」などでも本当はそうなんだと思いますがー)「あるがままでいる」ということの実験場だった彼のアシュラムでは、この世の「天国」を味あわせてもらいました。誤解の無い様にいっておくと、ここで言う「天国」とは「何でも自分の思いどうり」になったり、「怒りも憎しみも無い」この世のパラダイスではなく、笑いたいときに笑い、怒りたいときに怒れる、自分を表現しても罰せられることの無い「天国」という意味です。(制限のあるこの世界ではこれ以外に「天国」があるとは思えないのですが、、、)

人間としての彼は、う~ん、なんといったらいいのか、動く姿は踊りのお師匠さん。それになんといってもカリスマ性がありますな。(ちょっと芸能人ぽいかな、、。写真もソフトフォーカスのものが多いし。)それと、写真などでは大きく見えますが実際の身長は、割と小柄でした。

1991年になくなりました。

ちなみに、生前は「性の自由」を説いたり、古い慣習に反するような言動などで(特にインドでは)「官僚の敵」でしたが、死後は、手のひらを返したような待遇(インドで「今世紀の偉人100人」に入ったりー)になりました。

まぁ、そんなもんなんでしょう、、。

ー過去の記事より抜粋して掲載しています。ー


osho by Amazon

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プロフィール
・名前 Bodhi Taru
・生年月日 1961/11/15
・種別 地球人、人間種、男性


* Topics of life

・1973年 ギターに出会う。
・1979年 嶋本昭三さんに出会う。モダン・アート三昧。
・1982年 インドに出会う。放浪開始。
・1986年 ネパールでoshoラジニーシに出会う。
・1989年~1991年 オランダ、アムステルダム市在住。Reggae三昧
・1992年 インドのラクノウでプンジャジに出会う。
・1994年 ジャマイカのキングストンでアール・チナ・スミスと出会う。
・1998年 レイキ・マスターとなる。
・2002年 インドのホワイトフィールドでサイババに出会う。
・2010年 ディクシャ・ギバーとなる。

いろんな物や人、場所に出会って感謝
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